第21話「仕草」
| 今回の利根川語録(10巻第110話) | 考察? |
| 人というのは、言うなら感情の器… 常に満々とした水… ゆらゆらとした感情をその内部にたたえている。 その水…感情は… ちょっとした心の動きで容易く溢れる。 器が小さいほど、あるいは歪なほど 感情は溢れやすい。 いくら蓋をしても、 そういう器はもともと安定が悪い。 容易く傾く…!溢れる水は止められない…! しょせん一朝一夕で感情は隠せぬものよ。 まあ… カイジくんには無理だ。 器そのものの問題もあるが… 蓋の仕方も問題がある。 感情はただ押さえつけてもダメだ… 感情という水を気化させ逃がす工夫… そんな呼吸する蓋が必要なんだが… カイジくんはそんな術は知りえない。 仮に知ってもすぐにはできぬ…! |
←「常に満々した水」という表現、 「感情を水に例える表現」はうまい。 例えば、コップ一杯の水を運ぶ時、 人は静かに慎重にあるくだろう。 いかにこぼさず、すばやく運ぶには、 熟練した技が必要なのだ。 それができず、短気に急いで運ぼうとすると 大量の水がこぼれまくる。 こぼれた水の量が多いほど、 その人は感情をおさえることができず、 落ち着かず、とりみだしているのである。 ←「器そのものに問題がある」という表現、 実はイタイことを言われているのだが、 これも人間を的確に表現した言葉である。 キチンと器のととのった人間など、普通はいない。 ←「感情という水を気化させ逃がす…」 蒸気化すれば、目には見えなくなる。 もれそうな感情を気化する技術。難しい話である。 感情のコントロールは、 生きた長さとその過程で身に付くのである。 |